昔の横浜港はサウスピア・センターピア・ノースピアの3つの埠頭で形成されていました。

サウスピア : 大桟橋

今も多くの客船が入港する大桟橋は40年ほど前までは横浜とソヴィエトを結ぶ
定期航路が開設されていました。
飛行機運賃は驚くほど高く多くの若者は横浜大桟橋から5千トン未満の小さな
貨客船「バイカル号」に乗り2日かけナホトカへ渡りました。
そこからシベリア横断鉄道で2日間でモスクワへ、そこから航空機で
ロンドンへ。ソヴィエトが共産国家であり360円が1ドルにしか換金できない
日本が敗戦から立ち上がろうともがきながらも
街に温かみがあった時代のことでした。



センターピア:新港埠頭

「赤レンガ倉庫」がある所です。昔はここが日本と外国の玄関口でした。
東京からの引込み線が敷設され外国からの賓客をうけ入れる迎賓館や
外国へ旅立つ要人たちの社交場があり華やかな舞踏会送迎会
が連日繰り広げられる日本で一番西洋の華やかさに満ちた一角でした。

ノースピア:瑞穂埠頭

戦前は日本の貨客船の7割が出入港する貿易港でした。
戦後、進駐軍に接収されカマボコ兵舎が並ぶこの埠頭には
大きな陸橋が架かり、橋の袂に10軒ほどの「外人バー」が軒を連ねていました。
今もその名残りがPOLESTARとSTARDUSTです。
ベトナム戦争が行われていた頃米国の永久居住権グリーンカードと
引き換えにベトナム戦争へ参加する日本の若者達はここから旅だちました。
今でも一部は立ち入り禁止の「橋の向こうはアメリカ」な埠頭です。


ヨコハマ・ピアフォー

PIER4横浜

ピアフォーはこの3つの埠頭に連なる第4の埠頭として創業しました。
これらの埠頭と同じ海面を共有する漁師町に生まれました。
ボストンにあるシーフードレストランアンソニーズPIER4、カナダトロント
のトロントPIER4もウォーターフロントに位置し
新鮮な魚介類が自慢のレストランです。

横浜PIER4は料理は「漁師町」で仕込み
食事は「素晴らしいウォーターフロント」でする
という共通点から命名されました。
ボストンのピアフォー、トロントのピアフォー、ヨコハマのピアフォー
どのお店も資本提携や技術提携はありません、地域から名づけられたお店です。




ボストン・ピアフォー

www.pier4.com

20年前の四月ボストンを訪れました、午前中に到着した時には
陽光が燦々と降り注ぎ若者達は
上半身裸でスケートボードを楽しんでいました。
夕刻、PIER4で食事をする為ホテルを出た時、
外は一面の吹雪、銀世界でした。
寒暖の差が激しい海の魚は美味に違いないと言う定説通りでした。


トロント・ピアフォー

トロントピアフォーはやはり海のように大きいオンタリオ湖岸の
ハーバーフロントエリアにあるハーバーレストランです。
冬の間は休業し季節の良いシーズンにだけ開業します。
人が少ない静かな湖にあり食事を楽しむ、会話と静かな環境を楽しむレストランです

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